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【山都町のおしごと紹介】いじめられっ子から、町の頼れる相談役へ!『田上彰 司法書士・土地家屋調査士・行政書士事務所』
山都町では、地域へのUIターン促進を目的に『やまとしごとSTORE』という事業を実施しています。
この記事では、『令和6年度やまとしごとSTORE』イベントに参加された山都町内の事業者を紹介していきます。山都町へのUIターンを検討されている方は、ぜひ参考にご覧ください。
世の中には多種多様な職業が存在し、それぞれの分野で知らない世界があって驚いたりするものですが、いわゆる『士業』というのもなかなか馴染みがないお仕事の1つではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、山都町で司法書士・土地家屋調査士・行政書士として働いている田上彰(たのうえあきら)さん。土地や建物といった不動産登記の手続きなど、様々な地域の課題を解決する仕事をされています。山都町で生まれ、どのような経緯で今の仕事をすることになったのか。田上さんが取り組む郷土史伝承の話もはさみつつ、あなたの知らない士業の世界をお届けします。
会社の概要
◯事務所名
田上彰 司法書士・土地家屋調査士・行政書士事務所
◯設立
1977年
◯所在地
山都町浜町
◯事業内容
不動産登記手続き、法人登記手続き、裁判手続き、土地建物の調査測量、許認可手続き
土地建物から農地に山林まで、きっちり登記するお仕事
ー本日はよろしくお願いします。まずは仕事の話から伺っていきたいと思います。司法書士・土地家屋調査士・行政書士と3つの資格を持っていらっしゃいますが、普段どのようなお仕事をされていますか?
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田上さん:
私の場合は不動産登記が多いですね。都会の司法書士の場合は会社等の法人登記も多いけど、ここは田舎だから。今年(2024年)の4月から相続登記が義務化されて、忙しくなりました。田舎は土地建物だけじゃなくて農地、山林もあるから、多いところだと1件で100~200筆もあって。今は一種のバブルみたいなものだね。しばらくすれば落ち着くと思うけど。
ー不動産をもっている地域の方から依頼を受けて、田上さんが登記などの手続きを行うということですね。行政の制度変更に対応する役割もあるんですね。
田上さん:
一時期は多重債務、負債整理も多かったね…昔はグレーゾーン金利*というのがあって。1日に何箇所も裁判所を回って。午前中に熊本市、昼から御船、高千穂…と掛け持ちで法廷に立ち口頭弁論をやってた時期もありました。
*グレーゾーン金利
法律で定められた上限は超えているが、刑事罰に科せられることはないという法律的にグレーな金利のこと。かつての貸金業者はグレーゾーン金利によって上限よりも高い違法な金利を取っていたところもあるが、2010年の法律改正により撤廃された。昔は山都町のような地方でも、グレーゾーン金利でお金を借りたことで借金が膨らんで首が回らなくなった方がいて、田上さんが多くの相談に対応していたという話。
ーそんな時期があったんですね。お仕事のエリアも山都町だけじゃなくて幅広いんですね。
田上さん:
同業者(司法書士)は他にもいるんだけど、多重債務の対応をしてたのは私しかいなかったから。五ヶ瀬、高千穂あたりまでこっちに依頼がありましたね。
ーいかにもややこしそうな多重債務の対応を同業者の方がやりたがらないのはなんとなくイメージがわきますが、そのなかでも田上さんはなぜ対応していたんですか?
田上さん:
私は24歳で開業したんだけど、地域には同業者の先輩がたくさんいたから。若造が仕事を始めても仕事が回ってこないんですよ。かかりつけの医者と同じで、もうみんな依頼する先が決まってるから。それで、人がやりたがらない仕事をやるしかなかったですね。そうやって仕事を続けていくなかで、私にも依頼がくるようになりました。
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矢部高の林業科から、先輩の影響で司法書士へ
ー地域での信頼を積み重ねることで、仕事を獲得していったんですね。それにしても24歳で開業は若いですね!開業までの流れを聞いてもいいですか?
田上さん:
土地家屋調査士の資格を取れたのが一番早くて、20歳のときでした。30歳までに取る予定だったんだけど、1回目の試験で合格しちゃったから(笑)。矢部高校の林業科出身で、そのあと測量専門学校に通って、土地家屋調査士をとるのが目標だったんだけど。目標を失ってしまったような状態ですね。
それで、目標を失ってぶらぶらしてたら、先輩から電話をもらって「次は司法書士だろう」と発破をかけられて。こっちは法学部どころか大学も行ってないんですよ?でもそれで3ヶ月後には熊本市に行って、司法書士事務所に通って仕事をしながら勉強しました。なので、はじめは司法書士になろうという気は毛頭なかったですね。
ー先輩の影響で司法書士の道に進んだんですね。司法書士の資格はスムーズに取れたんですか?
田上さん:
1回目の試験はさすがに落ちたんだけど、当時は生意気で。不服申立てというのが当時はできたんですね。「なんで自分は試験に通らなかったのか」とお偉いさん方に聞きに行きました。そしたら点数をこっそり教えてくれましたね。
それで司法書士の資格は2年で取れて、合間に行政書士も取りました。(司法書士の)事務所で仕事もしてたけど、実務と試験は全く関係ない。邪魔なぐらい(笑)。理論上の話と実務は全く違うからね。
ー不服申立てですか。意外と強気というか、自分に自信があったということでしょうか?
田上さん:
なんというか、当時は生命力に溢れていたんだよね。みんなには嫌われていたでしょうね…
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恩師の影響で「やっていいんだ」と気づいた学生時代
ーでは、そんな田上さんが今の仕事に至るまでの人となりをもう少し掘り下げていきたいと思います。子どもの頃はどんな様子でしたか?
田上さん:
生まれてまもなく痙攣を起こして、言葉の障害を持ちました。皆からいじめられてましたね。(自身の通知表を取り出しながら)小学校の通知表でも「無口」「おとなしい」という感じの評価が何年も続きました。
それで大恩人が、5-6年の担任の先生ですよ。教師の見方でぜんぜん違う。まるで褒め殺し。通知表にも「こんなに完成された性格はない」とか、すごいでしょ。
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ーすごいですね。今でもそこまで褒め上手な先生は珍しいんじゃないでしょうか。
田上さん:
いくらでも受け止めてくれた先生ですね。これで自信がついてきましたね。
あとは中学校の音楽の先生ですね。授業のあとに自分だけ呼ばれて、「実は合唱コンクールがあるんだけど出ない?」と言われました。でも当時の自分からしたら「は?」ですよ。言葉の障害があって、人前で話したり歌ったりすることはいちばん苦手なこと。帰って両親にも相談したりして、自分の部屋に籠もって声を録音して聞いてみて、やっぱり変わってない。
それで(結局)コンクールには出なかったんだけど、「自分の思ってることと人の受け止め方はこんなに違うのか」と感じて。
ー自分が思っている以上に音楽の先生に認めてもらえたのが、田上さんにとっては意外だったんですね。
田上さん:
それで、自信じゃないけど、やっていいんだなと。それからギターをやったり色んな楽器をやったりして、高校では楽しく過ごしました。測量部の部長なのに測量部はほっぽらかしにして、ギター同好会を作り後輩にギターを教えてて、測量士補の試験は落ちちゃって(笑)
ーいじめられていた幼少期に比べると、とても大きな変化ですね。楽器をはじめて変わったことはありますか?
田上さん:
こんな自分が、後輩たちに何か教えるようになるなんて、と。言葉の障害をもったことで長ーく殻を被ってたのに、それが破けたような感じですよ。人と交わることがあまり苦にならなくなりました。それで、今では何にでも顔を出してしまって…(笑)
私達は歴史に学ばないといけない。郷土史伝承の取り組み
ー田上さんが下の世代の皆さんを親身にサポートされているのを拝見していましたが、きっとこういうところから来ているんですね。取り組みでいうと、山都町の郷土史伝承会でも活動されていると思いますが、こちらのお話も少し伺っていいですか?
田上さん:
平成19年に、郷土史伝承会が私の師匠の講義録を出したんですよ。これの改訂版を出そうと思って、原稿を書いているところです。固有名詞がカタカナのままだったりするので、我々がおる間に直しておかんといかんなということで。春から毎朝やってまだ半分。
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この内容を修正する作業を毎朝進めているそう
ー春から毎朝ですか。どうしてそこまで継続できるんですか?
田上さん:
諸先生方がみんな亡くなられたからですね、自分がやらなきゃという思いになるんです。昔は先生たちがいたから、私は話を聞くだけで甘えてたんですよ。今は話をしてくれと頼まれたら、生き残っている自分がやらざるを得ない。
ー先輩方から受け継いできたという責任感があるんですね。そもそも、郷土史の活動に取り組まれているのはなぜですか?
田上さん:
この近くに「金比羅さん」という場所があって、私がここに来た頃、その由来を郷土史の先生に聞きに行ったんですよ。そしたら、「田上くん、それは、この浜町が江戸時代に貿易をしてたからだよ」と、いとも簡単に答えられて。この一言にカルチャーショックですね。「周りは山ばかりなのに、どうやって貿易を?」と。そしたら、緑川を使って荷を運んで、京阪神方面に絹織物などを売っていて、絹織物の工場も浜町の商人で共同出資して経営していたと。それでこの船の安全祈願のために、四国の金毘羅さんから御分霊いただいてここに祭っていたと。
今の我々はね、この山の中にいて「なーんにもない」と愚痴ばかり言っているけど。昔の人はこうやって新たな産業を興して、販路を切り開いて、外貨を持ってきて。こういうのがすごいな~と。歴史に学ぶというのが、本当に大事だなと。
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ー地域の歴史を学ぶ重要性を感じられたわけですね。地域の経緯について理解することは、土地の権利関係を整理する田上さんの仕事にも役立ちそうだなと感じました。最後に一言、山都町へのUIターンを検討している方へのメッセージをお願いします。
田上:
山都町内に司法書士は3名いるけど、年齢的には私がいちばん若いんです。後継者がいないので、今のままなら私で終わり。これから町の人口は減っていくけど、土地がなくなるわけじゃないから仕事はあります。仕事内容も昔とは変わってきてますし、1人ぐらいなら食べていけるんじゃないかな。
ー山都町での職業選択として、司法書士は可能性有りということですね。本日はありがとうございました。
まとめ
以上、山都町で司法書士・土地家屋調査士・行政書士として働く田上彰さんのインタビューをお届けしました。学校の恩師の影響で言語障害の壁を乗り越え、持ち前のマメさや面倒見の良さを活かして現在の仕事および郷土史伝承の活動に取り組まれているのが印象的でした。
地方での就業というと農業など現場の仕事をイメージしがちですが、田上さんのようにどちらかというと事務・裏方の仕事に自分の適性を見出すのも一つの道かもしれません。
企画制作:合同会社ミミスマス
取材/文/写真:内村光希